Canon EOS5D MarkII EF24-105mmf4L
朝日があたり始めて僅か数分しか見られない色彩です。桜はピンクというよりは白い花。
朝日の赤みを加える事で、豪華な雰囲気が出るように思います。
この後、友人と会いましたが、車が増えて来たので退散しました。
ここからは自分の整理のために。
風景写真を撮る事は、美しい光景を記録して鑑賞者に伝える行為でもあり、美しい自然風景の伝道者だ。
という内容の文章を読みました。色々考えてみましたが、確かに言い得ている。
そこに行けば誰でも撮れるだろう、というのは大間違いで、どの季節に、どの時間帯に、どんな光を
使って撮るかによって結果は大きく変わってくるため、スタジオライティングとは違う
難しさが有るのは確かです。
逆の意見で、写真は表現でありアートだから作者の思いを伝えなければ意味がない。
そいういう意味では風景写真に自己表現は含まれないのではないか。鑑賞者に伝える単なる記録
としての手段なのではないか。
という意見も聞きました。
この意見にも賛同出来る部分はあります。
多くのアマチュアカメラマンは、どこかで見たことのある、記憶の片隅にある、美しい風景を
求めて日本全国撮り歩きます。その行為の真意はいかがなものか。表現なのか記録なのか。
自らの記憶を記録として写真に残し、その記録を誰かの記憶に残す。その行為は表現か。
正直、アート写真の世界では風景写真は評価されていないと感じます。
サロン写真はアートではない。こう考えられているようです。
たしかに、どこかで見た誰かが撮った写真を追いかけていてはアートにはなり得ないと思います。
記録としての写真ならばアートになんかならなくても良いのかもしれません。
しかし、美しい写真に人が惹かれるのも事実でしょう。その事を追求している風景写真という
ジャンルの評価を高めていくためには、新しい風景表現が必要なのかもしれません。
長々とまとまりのない文章になってしまいました。反対賛成のご意見、大歓迎します。
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